自負と自責と現実

声の大きさと、その声が間違っていた時の責任の取り方について、けっこう前から疑問を持っている。

特に近年は表現の自由を振りかざして真偽の沙汰をほったらかしにしているように見えるマスメディア。
誤報への謝罪文を紙面の僅かをそれに裂けば良いと?
アナウンサーが謝罪を口にすれば10秒程度でなかったことに?

自浄作用とは過激だが、せめて自律神経のような拠り所は確かに持っていて欲しい、考える脳を持つならば。

検察庁法改正、著名人の抗議は「勉強せずという人が多い感じ…」(指原さん)⇒EXIT兼近さんは「批判することって自由」

一方、テレビへの広告費よりネット広告へその金額が増えて久しく、ひいては、それにまつわるSNSもまた声の大きさが連れ高でもある。
ちなみに「著名人がこぞって」という点がすでに広告作用と、それを利用して、とは勘ぐりすぎか。

木村花さん死去で誹謗中傷に著名人怒り…ダルは虫の大群写真を投稿「この人たちにスルーしろとは言えない」

ネットだからといって無法であるべきではないと思う。
自分でSNSアカウント削除すればリセットしたことになる?
ゲーム感覚?

こんな記事ばかり目について、自粛生活でピリピリしているのかも知れない。

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