情報との関わり方

インスタやツイッター、FACEBOOKなどSNSのそれぞれの特性、特徴、というのは実際にやってみるとなんとなく付き合い方がわかってくる。
それを是としてあるいは非としてかは問わず、楽しむツールとしているのだという顕著な例。

#スガやめろ というハッシュタグはなぜトレンド入りしたのか

記事中でもツッコまれているので記事に任せて…。

これはまぁ、きちんと自分がどのコミュニティの圏内にいるのか把握しているべきで有り、匿名世界を基本とする世界において匿名でない付き合い方をするならそれなりに(事前に)考えるべき事である。

橋下氏批判の「リツイート」は名誉毀損 二審も判決支持

被告の真意の程は別にして、このようなことにもつながるのだという認識が欲しい。
法律に明記されない、また解釈だけでなく、しっかり判例で補完できる社会であればなぁ、と。
今の日本に訴訟社会が浸透するとは思い描きにくいが。

「新型コロナのSNSデマはマスメディアが拡散」、東大の鳥海准教授が分析

以前見てからうろ覚えだったが、検索したら同じかたの分析だった。
「見える化」というのは抽象的なものの見え方を論理的に判断できる材料にするもので、極論では魔法を科学的に具体化するもの、といえないだろうか?
この見える化が普段のルーチン化した生活では難しいのかもしれない。

SNSを見ていると強く感じる、つまりは一次ソースに触れることが容易な現状だと、SNSをもってのみ善し悪しと断ぜず、未だ強い影響を持つマスメディアにもかつてほどの信頼は寄せられないと思うことが最近は多い。

現役医師「恐怖を煽るテレビを消して、私たちは外に出よう」

振り返るに、記事に善意がなくなった感はネットが一般的に浸透してきた頃しばし後というのが肌感覚である。

兎にも角にも情報に気の抜けない世界になってしまったようだ。
考える力を普段から養っておくのが肝要なんだろうね。(ごくありがちな結論…)

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA