そろそろ色々と情報が積み上がってきたので、一括で。
ただし、真偽の沙汰は解析が進めばわかること、と前置き。
どんなウイルスで、どのように感染するのか? 新型コロナウイルスのそもそも論
別記事。
「スーパーに家族みんなで出かける」からではなく、その行為が及ぼす根本的なリスクを理解できないから
同意である。
政府や専門家会議は自粛等の行為をする理由を、はっきりと何の目的のためなのかを明確に、短くてわかる言葉で伝えるのが良い。
もちろんそれでも…、ということはあるだろうが。
マスクが無症状者かもしれない自分から「他者を守るため」であることをわからせる
くしゃみとせきがどれほどの飛沫を飛ばしているのか可視化した動画を見れば百聞は…だろうが…。
もちろんこれまたおそらくは見ないのだろうが…。
別の話。
高齢者は朝のドラッグストアへ本当に「殺到」したか 購買データで解明 (3/3)
石油ショックの記憶やら、高齢者故の不安感など、理由は様々ありそうだが、明確な導き出せる結論が判然としない感がある。
何にしろ感染防止の道具を入手するために、感染するリスクのある機会を手にしていることに違和感を感じないのだろうか。
さて一方、現実では次第にマスク等の陳列を開店前からではなく、納品時にスライドされていったことは評価されるべき。
これこそposデータの有用性かもしれない。
賛否ある行動のかたですが、なんとなくわかる気がする内容の一文。
「みんな疲れるからやめよう」っていう発想を「引き算の発想」というんですが、日本にはこれがないんです。必ず足し算でいこうとする。引くことを知らない
過去のものがやがて雪だるま式になり企業文化として落ち着いてしまう、それがここ日本の現実。
有用なリソースが延々と湧いて出てくるかのような考え方は魔法で有り科学ではない。
ちょっと比喩が過ぎたか。
全く症状のない人のケアのために、たくさんの看護師や医師が目を血走らせて、寝不足で働かされている。そのせいで彼らが体調を崩したら、本来医療を受けるべき患者さんだって困ります
これも、医療崩壊という硬い言葉ではなく、わかりやすい言葉で伝えるべきだと思う具体的なこと。
自粛警察というワードが盛り上がっている昨今、それが行きすぎるとそもそも感染防止の逆を行く現実がある。
だが、それはさておき何より強く思うのは、私人の正義の執行は法治社会にあっては私刑だと認識すべきこと。
とりわけメディアにはその自覚が欲しいのだが、近年受けるネタ、燃えるネタが散見され、かつての記者としての良識が見られない気がしてならない。
知新、つまり知の浸透が昨今特に早くなったからこそ、かつての良識が求められる情報がすみやかに流布されるもののそこに容易に記者独自の私論が入り込み、受け取る側がその前提を理解していないように思う。
若い層がSNSから、高い年齢層がテレビから、という情報入手先を分析した記事をどこかで見た。
だからこそ、マスコミには良識を示して欲しいと願ってならない。
不安をあおることが仕事ではあるまいに。
コロナ禍でまん延する偽情報 ファクトチェック(真偽検証)活動で国際連帯:楊井氏に聞く
一方の若年層には、目にしたSNSの情報が正確な情報源からなのか知っておくべき。
フェイスブック、特にツイッターは似た傾向の人が集いやすいように思う。
情報の偏りがないよう一次情報をチェックする癖は必須かと思う。
それだってアカウント乗っ取りなどが無いとは限らないのではあるが。
最後に参考になりそうなグラフのリンクを。
<20200514追記>