資本と民主

「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点

記事を見てぽかんとしたしばらく後、若干界隈で話題になったような感のある記事。

ゴッホの名画にスープをぶっかける「環境保護活動」の深刻すぎる問題点

さらになんと言って良いかわからないタイミングの記事。
先の件がありき、な気がしないわけでもない。

まぁ、ともかく記事になって多少なりとも話題になったのならメディアとして少なからず影響はあったのだろう。

個人的には「破壊的」活動に対して嫌悪感を抱く日本人の倫理観が変わっていないとすれば良いことだと感じる。
イギリスの調査の詳細はしらないしトレンドもそこからは見て取れないが、そもそも「非暴力」イコール「破壊的」ではないのだから調査結果の判読に対して正しさが明らかではない。

資本主義、民主主義、を標榜するならやはり原理はカネと票に帰結すべきだと思うが、広く街宣や説得は意味があるだろうし、その「非暴力」は実に正しい一方、かたや「破壊的」は法により否定されるべき。

常々思うのは、彼らの掲げる正義はカネを集め活動をし、根源の解決を自己の解決によらない姿勢に違和感を禁じ得ない。

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