車は急には止まれない

ケント・ギルバート (@KentGilbert01) | Twitter
テレビに視聴者がうんざりしている真の理由
ケント氏がコメント欄を見ろと。

実は、これより数日前にこの記事自体は確認していてチラ見しただけで、熟読していない。(東洋経…ry)
私はテレビを見なくなって久しいのだが、この記事の記者はおそらく同じ感想を持っているからだろうと推測したため。
今更読む必要が無いと。

そしてやはり読む気にならないので未だ読んでいないのだが、コメント欄を流し読みしてみると、同じ感想を持った人が多数、というかほとんど。
政治やその他なんらかの力学にこのブログを関与させるのが嫌なので記事にはしてこなかったが、近年はニュース番組ですら偏向が激しいのは感じていたこと。
ニュース番組も記者が記事にして、編集者がそれを選び、つまりは論者の論文になるのが常で有り、しかしそれと比べてニュースの質が低いのは可能性の想像が乏しい、そもそも知識の乏しい人がその世界に少なからずいるから。
でもきっと、この記事やコメントも見て見ぬふり、メディアは知らないふりを続けるだろうな。
デジタルデバイドがあるのは(とその解消は)まだしばらくだろうが、スマホになれた世代がより高齢化する数十年後にはメディアの姿勢は必ず変わってくると考えている。(この記事のタイトルの所以)

そう思う一方で、むず痒いので現在を生きる人に一言。
かつては新聞がもっともメジャーなメディアであり影響力があって、そしてそれぞれに色が付いているのは私が生まれるはるか前より言われていたことである。
そんな中、そもそもニュースにも記事の読み方があって、例えばテストに向けて日本史や世界史の一時代だけ切り抜いて勉強しようとすると無理が出るのだが、それと同じで一面だけで物を見てはいけない。
絡み合う事象は時系列に、新聞で言えば経済欄や政治欄など横に渡って、要は流し読みではなく考えて考えて記事に向かう必要があるのである。
この記事での感想、それは記事を鵜呑みにせず自分で考え、想像することこそが大事であるということを再確認した、それに尽きる。

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